ペトロパヴロフスク=カムチャツキー案内

2010.4.25.


遠くの山は左からコリャーク山(3456m)、アヴァチャ山(2741m)、コゼーリ山(2189 m)。
海岸沿いの中央の山がミシェンナヤ山(382m)。


ペトロパヴロフスク=カムチャツキー市について

ペトロパヴロフスク=カムチャツキーは、カムチャツカ半島の先の東岸、アヴァチャ湾の東側の町です。以前はカムチャツカ州の州都だったのですが、2007年、カムチャツカ州は北方のコリャーク自治区と一緒になって、「カムチャツカ地方」に格上げになったので、ハバロフスクなどと同様、地方の都になりました。
人口20万人弱。海沿いの、坂の多い町です。冬は内陸ほど寒くなりません(-15~-20℃)が、夏の気温もそれほど上がらず、夜になると霧が出て肌寒くなることがあります。
ペトロパヴロフスク、という舌をかみそうな名前は、ベーリング、チリコフによる第二次カムチャツカ調査(1733-1743) の船の名前“聖ピョートル号”“聖パーヴェル号”("Svyatoi apostel Petl"、Svyatoi apostel Pavel")という2隻の船名からつけられたものです。

ベーリングのカムチャツカ〜アメリカ探検について(PDF)

市はほぼ南北に細長く延びています。中心部から南の方は山が迫っているためか大きい道路は1本ですが、北の方は複雑に枝分かれしています。幹線道路はミシェンヌィ山を迂回するように走っています。市の北東地区に比較的新しい団地が建っていて、市は北東の方に広がっている感じです。
町では、よく地域をkmで呼びますが、これは、中央郵便局からの距離を示しており、ロシアの各都市で使われていた呼び方の名残だそうです。市の北側は、10km地点のバスターミナルまで延びています。時々、行き先に"10km"と書いたバスを見かけます。

ペトロパヴロフスク=カムチャツキーの市内地図(PDF)


中心部

湾岸にある町の中心部には、地方政府の横長の建物(ロシア国旗が立っています)があり(上記地図の@)、広場に面してドラマ劇場(A)があります。広場に立っているレーニン像は、「倒そう」という意見もあったそうですが、「これも我々の歴史の1ページだ」ということで残すことになったそうです。また、広場の北側、クルトゥーチノエ湖畔には、“ペトロパブロフスク”の名前の元となった聖ペトロ・聖パヴロの記念碑(B)があるそうです。
広場の先は海岸になっていて、脇に小さな遊園地があり、夏になるとアイスクリーム屋さんが出たりして、ちょっとした「ビーチ」という雰囲気です。



海岸前の広場

晴れているとアヴァチャ湾の向こうに、富士山のように端正な形をしたヴィリューチンスキー山(2173m)が望めます。

広場の南側の海岸沿いには、ニコリスカヤ山(Sopka Nikol'skaya)という南北に細長い丘があり、地元では“愛の丘(Sopka lubvi)”とよばれています。山の東側(陸側)は緩やかですが、海側には崖のようになっている所があります。
劇場の建物の左側からはじまるレーニン通りを歩いていくと、劇場のすぐ南側に礼拝堂(C)が立っています。これは、1854年、クリミア戦争の続きでペトロパヴロフスクに攻めてきた英仏軍をニコリスカヤ山で迎え撃った際、戦闘で亡くなったロシア軍・英仏軍の霊を慰めるために建てられたものです。
レーニン通りを右(西)側に外れて、山沿いのクラシンツェフ通りを南に行くと、左手には漁港に停泊中の船が何隻も見えます。ベーリングの第2次探検の船も出港までここで滞在していたということで、このあたりは文字通り、町の出発点です。
道は公園につながっていて、上っていくと1854年の上記の防衛戦記念碑があります。この辺りは1980年頃までは有料の公園で、さまざまな催し物が行われていたそうです。丘の海側には5台の大砲がありますが、この場所は、1854年の防衛戦の際、実際に隊の一部(第3部隊)がいた場所だそうです。カムチャツカ軍は900人と少人数だったにもかかわらず、2600人からなる英仏軍の上陸をニコリスカヤ山で食い止めたということです。



愛の丘の大砲。向こうに雲のかかったミシェンナヤ山がみえます。

広場から南へレーニン通りを歩いていくと礼拝堂(上記)の向かいに映画館"Kamchatka"、展示場、その先、右手にカムチャツカ国立大学の建物、郵便局、左手に旧国営百貨店(ГУМ:グム)の建物があり、その向こう側は広い階段になっていて、ソヴェツカヤ通り(レーニン通りより山側をレーニン通りと平行にはしる)まで上がれるようになっています。階段の前を通り過ぎると、左手にチャールズ・クラーク(キャプテン・クックの死後、その航海を引き継いで1779年アヴァチャ湾を出航しベーリング海峡に向かったが、ペトロパヴロフスクへの帰途に死去)の記念碑があります。その先、海側には、最近再建されたアレクサンドル・ネフスキー寺院(Khram Blagovernogo Aleksandra Nevskogo)がありますが、これはもともと、1854年の防衛戦を記念して1858年に建てられた寺院だそうです。次に、左側には、ラペルーズ(宗谷)海峡を発見したラペルーズの変わった形の記念碑があります。ラペルーズは、日本海を通ってサハリンを調査し、ラペルーズ海峡を通って1787年アヴァチャ湾に来たそうです。
このあたりは古くからの中心地だけあって見所がたくさんありますが、車には要注意です。レーニン通りは北から南への一方通行なので、車が後ろから来る感じになります。
レーニン通りの道を上りきったところに郷土博物館(D)があります。

郷土博物館(Kamchatsckii Kraevedcheskii Muzei)
http://www.fotopetropavlovsk.ru/2009/08/20/museum/

レーニン通り20 (ul. Leninskaya, 20)。Tel. 2-54-11 開館時間 10:30〜18:00。月・火休館
自然に関する資料と、歴史についての資料がバランス良く展示されています。カムチャツカにすむ動物の剥製や、いろいろな形の火山弾や軽石などの火山噴出物、原住民の生活の様子の絵や、カムチャツカ探検時代・戦争関係の資料もあります。

帰りは、レーニン通りより山側のソヴェツカヤ通りを行くと、バス停があります(こちらは、南から北への一方通行となっています)。なお、ソヴェツカヤ通りを南から北に歩くと、左手、ちょうど上記のラペルーズ記念碑の上辺りにベーリングの記念碑があります。


コムソモリスカヤ広場(Komsomol'skaya Plocshadj :略して“カーぺー”)

  アヴァチャ・ホテルの前の広場。戦車の記念碑があってびっくりしますが、第二次大戦の記念碑です。道沿いには最近、ショッピングセンターのビル(torgovyj tsentr)が建てられたそうです。中央市場には食料品から衣類まで、何でも揃っています。市場の奥の方にある建物の中には、マトリョーシカなどを売っている店もあります。値段は全体的に高めで、6km地点の通称“中国市場”と比べると、トマトが2倍の値段で売られていたりします。



中央市場

市場の西側にはスタジアムがあり、そのさらに西には、屋内スケート場があるそうです。東側、登り坂の途中には州立病院があります。


4Km

アヴァチャホテル前から東側に坂を上ると、三叉路にぶつかります。右手にいくと、ガリゾント(Gorizont=Horizon: 地平線の意味)地区で、ゆるやかな下り→上り坂の向こうに団地が並んでいます。幹線通りは、左手のさらに坂を上る道です。ちなみに、この付近にある肌色の円筒型の背の高い建物は耐震建築で、同様な建物が市内に4, 5棟立っています。



三叉路の耐震建築の建物

左折すると、坂の上の方に教会が見えます。聖三位一体教会(E:Khram Svyatoi Zhivonachal'noi Troitsy)といって、最近建てられた、町で最大の教会です。その手前にも昔の映画館の建物を利用した、聖ニコライ教会 (F:Khram Svyatitelya Nikolaya Chudotvortsa) とよばれる教会があります。教会に入る時は、男性は帽子を取り、女性は、スカーフなどで髪を覆うのが礼儀となっているようです。
坂の途中〜登り切るあたりまで、3つの火山がよく見えます。



向かって左から、コリャーク山、アヴァチャ山、コゼーリ山


6Km

坂を登り切ってしばらく行くと、右手に噴水があり、暑い時などはよく子供が水浴びをしています。道路をはさんで向かいのちょっとおしゃれな建物は結婚式場です。その左手奥にはツム(TSUM : 中央百貨店の略)という、昔ながらの百貨店があります。
噴水のすぐ先に“6km市場”があります。道路沿いには大きい建物が最近できたようです。その奥に、以前から“中国市場(G:Kitaisky Rynok)”と呼ばれていた市場があります。値段は中央市場よりもかなり安く、庶民向けですが、品質については、見る目が必要になりそうです(一般に中国製のものが広く出回っており、ストッキングなどは調べて買わないと爪先部分が無かったりします)。
ここから次の大きい交差点(シルエット)まで歩いていくと、交差点近くの右手に食料品店“ユビレイヌィ”があり、なかなかの品揃えです。



牛乳だけでも、いろいろな種類があります。

シルエット

幹線通りとルカシェフスカヤ通りの交差点付近をシルエットと呼びます。昔、まだソ連時代にここの交差点にシルエットというお店があり、お店が無くなった今でもこの付近はシルエットと呼ばれ続けているそうです。“シルト”、とエにアクセントがあります。
この交差点には最近まで本屋さんがありました(H)が、現在はアディダスのお店になっているそうです。この交差点の角を海側に下っていくと、左手に金色の屋根の小さい教会が見えます。聖ピョートル・パーヴェル教会(I:Sobor Svyatikh Apostolov Petra i Pavla)です。1980年代、まだ宗教が公認されていなかった時から、信者の寄付により古い家屋を改築して建てられ、1992年に完成しました。普段は静かな教会ですが、復活祭(パスハ)の夜は信者でいっぱいになります。
本屋さんは、交差点を渡って10km方面にしばらく歩くと、左(海)側にあるそうです。本屋さんでは、本の他に、カード、カレンダーや、子供用のノートなどを売っていたりします。カムチャツカの地図やガイド本などもあるかもしれません。なお、カムチャツカの地図(karta Kamchatki:カルタ・カムチャトキ)や町の地図(karta goroda:カルタ・ゴーラダ)などは、新聞・雑誌を売るキオスクで売っていることもあります。


7-10km

幹線道路をさらに行くと、道はY字型に分岐します。分岐点に、3面に陸海空軍の顔のレリーフのある国境警備隊の記念塔があります。分岐点の先にはロシア中央銀行の建物がまばゆく光っています。分岐を右側に行くと、道路の突き当たりの右側にジェツキー ミル (J:Detsky Mir:“子供の世界”)という、おもちゃや子供用品の店があります。突き当たりを左に曲がると、ペトロパヴロフスク・ホテルがあります。
分岐点の左側の道が10km地点まで続いています。次のバス停、オブラスナヤ ビブリオチェカに州立図書館(K:obrasnaya biblioteka) があります。バス停から北、小さい林をぬけてすぐの、バス停から一番近い横長の建物です。
そこから2つめのバス停、8〜9km地点に、火山研究所(L:Institute of Volcanology)があります。ロシア科学アカデミーに所属する、大きな機関です。研究所の1階に付属の火山博物館があり、カムチャツカの火山の昔からの写真や、火山噴出物、鉱物などのコレクションがみられます。ただし、必ず事前に見学予約が必要です。

火山研究所付属博物館 Musei Instituta Vulkanologii i Seismologii DVO RAN. Buljvar Piipa 9; Tel. 5-93-46.
http://www.kscnet.ru/ivs/eng/index.html

10km地点はバスターミナルになっていて、町からの終点・町への起点になっています。ここから、郊外、空港行きのバスや、ミリコフ・エッソなどカムチャツカ中央方面に行くバス、カムチャツカ半島西岸のウスチ・ボリシェレツクに行くバスなどが出ています。


ミシェンナヤ山 (382m)

町の中心部の北側にある山で、町の大抵どこからでも見えます。ミシェン(mishen')というのは、標的・目標、と言う意味です。昔、アヴァチャ湾に来た船は、この山を目印にしてペトロパヴロフスク港に着いたということです。頂上には、火山研究所の測候所があります。
山の北東方面に道路がついていて、車でも徒歩でも登れます。山頂からは、北西の3火山や市街地、アヴァチャ湾対岸の山々などが望め、写真を撮るには絶好の場所です。



東(ガリゾント地区)からみたミシェンナヤ山


セログラスカ

幹線道路は、ミシェンナヤ山の東側を通っていますが、西側の海岸沿いにも、細い道が通っています。この道をバス(10, 23, 29)で行くと、セログラスカという村に出ます。Sero-は、灰色の、glaz-は眼の、の意で、地元の人に由来を訊くと、「さあ、灰色の眼の娘でもいたんだろう」との答えでした。漁業の町らしく海沿いには桟橋や漁業施設があり、漁船が泊まっています。
ゲオロギーチェスカヤ(Geologicheskaya)というバス停の近くに、こぢんまりとした地学博物館(M)があります。展示は鉱物、有用鉱石、火山噴出物3部門に分かれていて、カムチャツカ産の黒曜石や、灰色のメノウ、カムチャツカ中部で産出する金の鉱石などが見られます。ただし、この博物館も事前予約が必要です。

地学博物館(Geologichesky Muzei pri FGU TFI Kamchatoskogo kraya)
Ul. Beringa, 108. Tel. (4152) 23-90-39 開館時間:毎日8:30〜16:30(土日は要確認)


他の博物館

ペトロパヴロフスク市には、他にも以下の博物館・美術館があるそうです。

カムチャツカ漁業・海洋学研究所付属博物館(Muzei KamNIRO)(事前予約必要)
ul. Naberezhnaya, 18. Tel. (4152) 42-57-96
カムチャツカ半島近海の魚、海洋学や漁業活動の成果について。

鮭の博物館(Muzei lososya)
ul. Aademika Koroleva, 58. Tel. 23-58-35。土日休館。
鮭の生態、分布、先住民族による鮭の漁労・加工について。

カムチャツカ州立美術館(Kamchatsky oblastnoi khudozhestvennyi muzei)
ul. Leningradskaya, 62. Tel. (4152)42-60-25 開館時間10:00〜18:00


その他の情報

以下、次のサイトを参考に作成。
http://www.kamchatinfo.ru/about_kamchatka/index.php
http://wapedia.mobi/ru/
http://www.kamchatkatourism.com/plan-tips.htm

通貨

単位:ルーブリ(rubl') (=100コペイカ)
紙幣:10,50,100,500,1000,5000 ルーブリ
硬貨:1,5,10,50 コペイカ
*1ルーブリ=2.87円(2011年5月16日現在)

*両替は、ホテル(アバチャホテルなど)、銀行、ショッピングセンターなど、かなりあちこちでできるそうです。パスポートが必要です。円は両替出来ない所が多く、USドルの持参をお勧めします。 *クレジットカードは、ほとんどの店では使えません。大きいお店(Shamsa, Samotlor,Piramida)で使える程度、とのことです(Visa, Master Card, Maestro)。
*銀行の営業時間は10時から18時。途中、1時間昼休みが入るので要注意です。


電気

電圧220 V, 周波数 50 Hz。
*プラグは丸ピン2穴のものです。丸ピンには太いのと細いのがありますが、細い方です(C型?)。
*ノートパソコンや充電器で、ACアダプタの定格が100〜240Vとなっているものは、変圧器は不要。ただし、コンセントからACアダプタまでのコードを、220Vに耐えられるものに変えておく必要があるそうです(ヨ○○○カメラの店員さん談)。


商業

カムチャツカは漁業の町で、漁業・水産物の加工に多くの人が携わっています。


宗教

現在は政教分離で、宗教はどの宗教を信じても、信じなくても可、だそうです。ロシア正教の信者が最も多いそうです。


エネルギー

市内の2つの火力発電所で市の電気の需要をまかなっていますが、燃料は、“大陸”側に頼っています。現在、エネルギー自給に向けてカムチャツカ西岸からパイプラインで天然ガスを運んでくる計画がすすんでいます。また、ペトロパヴロフスクの電気は、ムトノフスキー(ヴィリューチンスキーのさらに南)の地熱発電所とも連携しており、市の需要の30%までまかなえるようになっている、ということです。


食べ物

海産物、特に夏には鮭鱒の薫製が出回ります。野生の実(ブルーベリー、ハスカップ、コケモモなど)は、カムチャツカのものはシベリアのものなどに比べて甘くて豊富、といわれています。地ビールも好評です。
主食のパンと、ジャガイモ。ロシアの人は日本の食べ物が大好きなのですが、この2つだけはロシアの方がおいしい、といいます。パンは白、灰色、黒など種類があり、素朴ですがしっかりした味がします。ジャガイモは炒めると甘く、日本では出ない味です。
町を歩くと、コップにヒマワリの種(semechki:セーメチキ)やピーナッツ、松の実(kedrovye orekhi: ケドローヴィエ アレーヒ)などを入れて売っているのをよく見かけます。ヒマワリの種は小さくて食べるのが面倒ですが、味は香ばしく、食べ始めると止まらなくなります。松の実もおいしいですが、ちょっと松ヤニに匂いがします。ちなみに、町のスズメがあまり逃げないのは、みんながセーメチキをやるからだ、という説があります。
砕いた木の実などを砂糖・油で固めたハルヴァ(khalva:アラブ発祥?)というお菓子が、時々お菓子屋さんに売られています。ロシア、ウクライナでは、ヒマワリの種で作ったハルヴァが多いようです。見かけは粘土そっくりですが、意外に香ばしくておいしいです。



お菓子屋さん(中央市場)。左手前にハルヴァが積んであります。


レストラン

市内のレストラン情報を載せました(古い情報があるかもしれません)。場所がわかるものは地図に掲載(a〜f)しました。特定できないものは地域・住所を載せましたので、現地の方々にきいてみて下さい。

ペトロパヴロフスク=カムチャツキーのレストラン(PDF)

レストラン以外にも、市内には多くのカフェ(кафе)があります。


交通

鉄道、地下鉄などはなく、市内の移動はバス・タクシーに限られます。
バス停にはなぜか時刻表がないのですが、便の時刻はちゃんと決まっているそうです(7時〜21時)。
バスは1回14ルーブリ。いろいろな経路のバスがあって複雑ですが、1(エジニッツァ)はいつも町の幹線道路(地図のオレンジ色の道路)を南北に走っているので、安心して乗れます。バスは色・模様で区別されていないので、前に書いてある数字で見分けます。
満員バスでは、降りる人が「次、降りますか?(Na sleduyuschee vykhodete?)」等とききながら降りるので、自分が降りない場合は通してあげます。
小型バスは個人営業で、経路(バス経路と同じです)・料金は前に書いてあります(市内では、距離では変わりません)。ただし、「次、止めてください」と言わないと、バス停ごとには止まらないので、要注意です。
ちなみに、アヴァチャホテル前のバス停(コムソモリスカヤ プローシャチまたはカーぺー)からシルエット(6km)までを通るバスは、1, 5, 6, 20, 21, 22, 26, 31 シルエットからカーぺーまでを通るバスは、1, 5, 6, 20, 21, 22, 28, 31です。


安全

ペトロパヴロフスクーカムチャツキーはロシア一安全な町、と呼ばれていますが、スリなどは多いそうです。また、道路が広く道が渡りにくい所が多いので、車にもお気をつけください。


おみやげ

ロシアというとマトリョーシカなどがお土産にされますが、カムチャツカ独自のお土産、というと、鮭の燻製やイクラの缶詰・瓶詰などが喜ばれそうです(キャビアは、地元のものではありません)。買ったもの、と証明するため、帰国時に税関でレシートをみせるように言われることがあります。
お手軽なのは、昔からあるチョコレートで、1つ1つ、クマや女の子の描かれたきれいな紙に包まれています。お菓子屋さんでグラム単位で売っています。
他にも、カムチャツカ先住民族の飾りを模した毛皮とビーズのアクセサリーやカムチャツカ産の黒曜石(火山ガラス)やダケカンバの樹皮などでできた製品などがあります。ときどき、絵や彫刻にカラスがでてきますが、これはカムチャツカの民族に伝わる、天地を創造した聖なる大ガラス(“クトフ”)伝説に基づくものです。

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お問合せ:福田 知子 fukudatomoko@gmail.com
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